「このやり方でいいのかな?」
「もっと効率よくできる方法があるかもしれない」
「本当にこれが最善なのか?」
そんなふうに常に頭の中で最適化のループが止まらない——これはギフテッド(またはギフテッド傾向のある人)に多い悩みです。
本人の中では「より良い未来を目指しての探求」のつもりでも、周囲からは「なぜわざわざ変えるの?」と見られたり、自分でも「いつまで経っても満足できない自分」に疲れたりします。
1. なぜ「もっと良い方法」を求め続けてしまうのか?
overexcitability
この傾向の背景には、多くの要因が複雑に絡み合っています。まず、「overexcitability(過度激動性)」という特性が大きく関係しています。これは感覚や思考、感情、運動、想像といった分野において、普通の人よりも強く・深く反応してしまう状態を指します。例えば、普通の人が「まぁこれでいいかな」と済ませられる状況でも、ギフテッドは「もっと良くできるんじゃないか」「他の方法の方が理にかなっているのでは」と考え続けてしまうのです。
合理的思考と問題解決能力
また、「合理的思考」が発達している人にとっては、「現状維持」はしばしば「非効率」に見えます。「もっと少ない労力で、もっといい結果を出せる方法がある」と思考が自動的に動いてしまうのです。さらにそれに「問題解決能力」が加わると、「課題が見えた瞬間に、解決策を試さずにはいられない」状態になります。
内発的動機づけ
こうした傾向を持つ人には、「内発的動機づけ」(自分の内側からの欲求)で行動していることが多く、誰かに言われたからではなく、自分が「納得したい」「もっと正確な方法を知りたい」という気持ちが原動力になっています。これが外から見ると「頑固」「指摘魔」「常に不満そう」と映ってしまうこともあるのがつらいところです。
完璧主義
さらに、ギフテッドの中には「完璧主義」を抱えている人も多くいます。完璧主義とは「100点でなければ意味がない」「ベスト以外は妥協」といった価値観に縛られる考え方で、常に「もっと」を求めてしまう人に強く出やすい特徴です。完璧主義自体は悪ではありませんが、疲労や心的飽和(あとで説明)を引き起こしやすくもあります。
結びつけ記憶
そして見落とされがちなのが、「結びつけ記憶」という脳の特性です。これは、「この体験は、あの経験と構造が似ている」といったように、異なる情報を瞬時に関連づけて思い出せる能力です。この力がある人ほど、「過去の例からもっと効率的な方法がある」と気づきやすく、その記憶がつねにアップデートされてしまうために、いまの方法に満足できなくなるのです。
反権威主義
また、「反権威主義」の傾向も見逃せません。これは「権威あるものが言っているからといって、正しいとは限らない」と考える価値観で、特に知的に自立した人に強く出やすいものです。「みんながこの方法を使っているからといって、自分もそれに従う必要はない」と疑い、独自の方法を編み出そうとする。結果的にそれが「探求しすぎる」「他人と合わない」悩みにもつながっていきます。
メタ認知
こういった認知の背景には、「メタ認知」も関係しています。メタ認知とは「自分の考えや感情を客観的に捉える能力」で、この力が高いと「今、自分はもっと良い方法を探しているけど、それって本当に必要?」と一歩引いた視点から考えることができます。ただし、ギフテッドの場合はこのメタ認知も過剰になりがちで、「探している自分」に対するメタな評価をまたぐるぐると考えてしまう、という二重構造に陥ることがあります。
心的飽和
最後に、「心的飽和」という概念を紹介しておきます。これは、「刺激や情報、思考が多すぎて、心が飽和状態になること」。つまり、頭の中であまりに多くの選択肢や可能性を同時に処理しようとしてしまい、脳が疲れて判断が鈍る、集中力が下がる、無気力になる、という状態を引き起こします。
「もっと良い方法を探しているうちに、なにも行動に移せなくなる」というのは、まさにこの心的飽和の典型です。
このように、「常にもっと良い方法を探してしまう」ことは、ギフテッドの持つ高い能力や繊細さ、内発的動機、強い倫理観と密接に結びついています。そしてそれらが絡み合うことで、外から見れば「無駄に悩んでいる」ようでも、本人にとっては「生きるうえでどうしても譲れない誠実さ」の現れなのです。
2. 探し続けることによる弊害と、その正体
「もっと良い方法があるかもしれない」——この探求心は、確かに知性の証であり、進化や発展の原動力でもあります。ですが、それが止まらなくなったとき、私たちは「迷路」に入り込んでしまいます。気づけば、手をつけたはずの作業は途中のまま、いくつもの方法を試そうとして身動きがとれず、心も体もぐったり。
ここでは、その「探し続けること」が具体的にどんな問題を引き起こすのかを見ていきましょう。
迷走する時間とエネルギーの消耗
一番わかりやすい弊害は、単純に「時間とエネルギーのロス」です。
たとえば、レポートを作成するときに、構成を何パターンも考えたり、どのテンプレートが最適かを比べたり、フォントの見栄えや配色に迷いすぎたりして、肝心の中身がまったく進まない……というような経験、ないでしょうか。
これは最適化という考え方が行きすぎて、行動よりも思考が優先されてしまうパターンです。もちろん、より良い選択をしたいという気持ちは健全です。しかし、ギフテッドにありがちな完璧主義が加わると、「ベストじゃない選択肢を選ぶこと=ミスや失敗」と捉えてしまい、恐怖や焦燥感がつきまとうようになります。
「決めきれない病」の正体は、責任感と正義感
決められない、進めない。その背景には、実は「責任感」や「正義感」が潜んでいることも多いです。
「誰かに迷惑をかけたくない」「全体として最善の結果になるようにしたい」「無駄や不平等が起こらないように配慮したい」——そういう気持ちが強すぎると、自分一人の最適化ではなく、「全体最適化」を追い求めるようになります。
このとき、ギフテッドは結びつけ記憶で過去の出来事や他者の事例を次々に関連づけ、「この判断がこの人にどう影響するか」「もしこうだったらあのときの失敗が再発するのでは」などと、シミュレーションの迷路に入り込んでしまいます。
その結果、ただのプリント1枚を配布するにも、「フォーマットはこれで正しいか?」「誰かが見落とすかもしれない」「色覚多様性に配慮できているか」などの視点がいくつも湧き上がり、行動のスピードがどんどん落ちていきます。
これは決して「仕事が遅い人」ではなく、「多視点・多変数の処理に強すぎるがゆえに、実行が困難になる人」です。
心的飽和による「思考フリーズ」
あまりに情報や判断基準が多くなりすぎると、脳が心的飽和に陥ります。これは、たとえばスマホに何十ものアプリが裏で開きっぱなしになっていて、本体が熱を持ち、処理速度が落ちるようなもの。
この状態になると、普段の冷静な判断力が低下し、「なにが大事だったっけ?」「何をしようとしてたんだっけ?」と混乱し、疲弊感が襲ってきます。
一見、集中力がないように見える人も、実はこうした「情報過多による認知のショート」が原因だったりします。特にギフテッドは、メタ認知によって「いまの自分の状態を俯瞰してしまう」ため、「また思考がグルグルしてる」「自分はなんて無駄なことをしているんだ」と自己否定にも陥りやすくなります。
まわりとの衝突:「なんで変えたがるの?」
職場や学校、家庭といった集団生活の場面で「もっと良い方法がある」と言い出すと、他者から「いちいち変えないでよ」「めんどくさい」「空気読んで」と言われることがあります。
これは、周囲の人が「現状維持=安定」と捉えているのに対し、ギフテッドは「現状維持=非合理・非最適」と感じてしまうことから起こる価値観のズレです。
また、反権威主義の傾向があると、「このやり方はおかしい」「誰が決めたルールなの?」と疑問を抱き、上司や先生の指示にも従いにくくなることがあります。それが周囲から見ると「協調性がない」「指示に従わない」と見なされ、評価や人間関係に影響するリスクも。
こうして、「より良くしたい」という善意からの行動が、結果として摩擦や孤立、誤解を生んでしまうこともあるのです。
「もっと良く」の罠:実は安心を求めている
そして何よりも深刻なのは、「もっと良くしたい」という願望が、実は「不安や恐れ」から来ていることも多いという事実です。
「このままだと誰かに責められるかもしれない」「後悔したくない」「ミスしたら信頼を失う」——そうした無意識の感情が、「もっと調べよう」「もっと考えよう」「もっと改善しよう」と自分を突き動かしているのです。
つまり、「常により良い方法を探す」という行動の裏には、「現状では安心できない」「自分が納得できない」という感情の問題が潜んでいることがあるのです。これは、いくら頭で「もうこれでいいじゃん」と思っても、心が「いや、まだだ」と納得できない状態です。
だからこそ、問題は方法論や判断力の不足ではなく、「安心して決断できる自分でいられるかどうか」なのかもしれません。
3. 探すのをやめるために必要な“視点の切り替え”
「もっと良い方法があるかもしれない」と考えること自体は悪くありません。それは創造性や向上心、柔軟な思考力の現れでもあります。
ですが、それによって行動が止まり、苦しくなってしまうのなら、どこかで視点を切り替える必要があります。ここでは、「探し続けること」に疲れてしまったときに有効な、“考え方の転換”について紹介していきます。
「最適」ではなく「十分に良い」
まず試してほしいのが、「最適解」を探すのではなく、「十分に良い解(サティスファイジング)」を受け入れることです。
完璧主義の人ほど「ベストでないと意味がない」と思いがちですが、「現実的に問題が起きない程度に良い」であれば、それで十分なのです。
心理学ではこれを「最適化(Optimization)」ではなく「満足化(Satisficing)」と呼びます。すべての選択肢を検討し尽くすのではなく、「これはまぁOK」というラインで決めることで、心的飽和や判断疲れを防ぐことができます。
たとえば、「この企画書、80点くらいだけど、もう出してしまおう」と判断できれば、その先の修正も含めて前に進めます。でも、「100点を目指すまで出せない」となると、永遠に提出できず、チャンスを逃してしまうこともあるのです。
「結果」ではなく「進行形のプロセス」に着目する
もう一つの視点の転換は、「完了された最適解」ではなく、「今この瞬間の自分の思考や行動がどう機能しているか」に注目することです。
つまり、「ゴール(結果)」にこだわりすぎず、「プロセス(過程)」を大事にする考え方です。
ギフテッドは、結論や答えを素早く求めすぎる傾向があります。だからこそ、「今この方法でやってみてどう感じる?」「仮にこれで失敗したとして、何が学べる?」という問いを自分に投げかけてみてください。
これは「内発的動機づけ」をうまく活かすことにもつながります。内発的に動く人は、他人の評価や報酬よりも、「納得」や「理解」を重視します。だったらなおさら、「今の自分がどう感じているか」に立ち戻ることが、最適解への執着を手放す鍵になるのです。
メタ認知を「手放すためのツール」として使う
メタ認知が高いと、「自分はなぜこう考えているんだろう?」と自分を観察する視点を持つことができます。これは非常に高度な能力ですが、過剰になると「観察ばかりで行動できない」状態に陥る危険性もあります。
そこで意識したいのは、メタ認知を「止めるための道具」として使うということ。
たとえば、「自分は今、完璧を求めすぎて動けなくなっているな」と気づいたとき、「それって本当に必要? 今のままで十分かも」と自分に許可を与えるためにメタ認知を使ってみてください。
つまり、考えを深めるためではなく、「考えすぎを終えるため」にメタ認知を使う——これが、探求型ギフテッドにとって最も実用的な視点転換になるのです。
「動くことが最適化を生む」:行動と思考の順序を逆転する
ギフテッドは先に思考してから動こうとする傾向が強いですが、あえて順序を逆転してみるのも効果的です。
つまり、「思考の準備が整う前に、先に少しだけ動いてみる」。それによって、情報が整理され、判断材料が明確になり、結果としてより良い方法が「見えてくる」ことがあります。
これは「行動による最適化」です。
たとえば、記事の構成が思いつかなくても、最初の一段落だけ書いてみる。すると、「あ、こういう流れになりそうだな」と道筋が見えてきて、修正や改善の余地も自然と生まれてきます。
重要なのは、「最初から正解にたどり着こうとしない」こと。
行動を通じて試行錯誤しながら、最終的に納得のいく形に近づけていけばいいのです。
「そもそも自分にとっての“良さ”とは?」という問い
最後に、もっと根本的な問いを投げかけてみましょう。
「自分にとって“もっと良い”とは、具体的にどんなことなのか?」
「それは、本当に“良い”のか? それとも“安心したい”だけなのか?」
「今、この方法がダメだったら、なにが起きるのか?」
——こういった問いに答えていくことで、「探すこと自体」が目的化してしまっていた状態から、必要な情報だけを選び取る力が身につきます。
「良さ」は他人が決めるものではなく、自分の基準でいい。
他者評価や外部の最適解から自分を切り離し、「自分の満足とはなにか?」を定義し直すことが、「探しすぎ地獄」から抜け出す最初の一歩になるのです。
4. 本当の意味で“最適化”と付き合うには?
「常にもっと良い方法を探してしまう」——この癖を、ただ「やめよう」としても、うまくはいきません。なぜなら、そこにはギフテッドならではの価値観や世界の見え方が深く関係しているからです。
本質的な解決のためには、「最適化」という行動自体を否定するのではなく、それとどう“賢く付き合うか”という視点が必要です。
「最適化したい欲求」を悪者にしない
まず大切なのは、「最適化欲求そのものを否定しないこと」です。
ギフテッドが「もっと良く」を追い求めるのは、合理的に物事を捉える力が高く、なおかつ問題解決能力が優れているからです。それはあなたの強みであり、未来を変える力でもあるのです。
だからこそ、「私は考えすぎるダメな人間だ」とは思わないでください。
むしろ、「私は“より良さ”に気づけるセンサーが強すぎるだけ」「でも、そのセンサーの使いどころを調整すれば、もっと生きやすくなるかも」と捉えると、かなり楽になります。
探求と行動を分けて考える:「考える時間」と「決める時間」
実践的な対策として、「探求フェーズ」と「決断フェーズ」をあらかじめ分けておく方法があります。
たとえば、「この30分はとことん情報収集していい」「でもその後の15分でどれか一つに決める」と時間を区切ると、思考と行動の切り替えがうまくいきやすくなります。
これは、心的飽和やメタ認知疲れを防ぐだけでなく、「結論を出すことに自分で枠を与える」習慣にもなります。
また、あえて「決めきらずに仮決定する」という選択肢もおすすめです。「とりあえずこの方法で試してみよう」と、完璧を求めないことで、行動のハードルがぐっと下がります。
「全体を俯瞰する力」を、他者のために使う
ギフテッドの中には、「全体を把握して、構造の歪みに気づいてしまう力」を持っている人がいます。
これは、「部分的な最適化」よりも、「全体最適化」へと向かわせる傾向があります。
その力を「自分の中で完結させよう」とすると苦しくなりますが、「この視点は、誰かの役に立つかもしれない」と思えたとき、その力は価値に変わります。
たとえば、「みんなが気づいていない無駄を改善して、結果的にチームが楽になる」といった使い方です。
そのためには、「共通言語で説明する」「一度その人の視点に立つ」「相手が変化を受け入れるタイミングを見極める」といった、“伝える力”も必要になります。
探し続ける知性と、他者に橋をかけるコミュニケーション——その両方が揃ったとき、最適化は「孤独な思考」から「協働の知恵」に進化します。
「すぐ最適化したくなる脳」の対処法を仕組み化する
最後に、「また考えすぎてるな」「動けなくなってきたな」と気づいたときに、自分の思考をリセットできる仕組みを作っておくと便利です。たとえば次のような方法です:
- 「あえて雑にやってみる」チャレンジを自分に課す
- 毎日「今日の“そこそこで済ませたこと”」を1個メモする
- 悩みすぎたときに開く「思考の棚卸しノート」を作っておく
- 「これは一時保存でOK」と言い聞かせて自分に許可を与える
こうした工夫は、過集中や非同期発達(思考のスピードと行動や感情のバランスが取れない状態)によって偏りがちな脳を、やさしくガイドする道標になります。
「行きすぎ」を止めるのではなく、「方向を微調整する」ようなイメージで取り組んでいきましょう。
「よく生きる」ための最適化に、戻ってくる
「もっと良くしたい」という気持ちは、突き詰めれば「よく生きたい」「無駄なく意味あることをしたい」という願いの表れです。
だからこそ、その衝動を活かすには、自分が「何のために探しているのか?」を忘れないことが大切です。
自分の人生を、自分の頭で考え、自分で選んで、自分の納得できる形で進める。
ギフテッドにとっての最適化とは、本来、そういう「生き方の自由」を広げるものであるはずです。
そのためには、時には「考えすぎない」という選択もまた、“最適”なのです。
まとめ
「もっと良い方法があるかもしれない」——その発想は、あなたの知性や誠実さの証です。
けれど、その力が強すぎると、行動を止めたり、周囲とのズレを生んだり、心を疲れさせる原因にもなってしまいます。
今回の記事では、以下のようなポイントを解説してきました。
- ギフテッド特有のoverexcitabilityや合理的思考が、「もっと良く」を止められなくする。
- その背景には、責任感や正義感、「全体を最適化したい」という欲求がある。
- 思考が過剰になると、心的飽和や行動停止、他者との摩擦につながる。
- 「十分に良い」「今やってみる」「プロセスを大事にする」などの視点転換が有効。
- メタ認知を「止めるため」に使うことで、自分を救うことができる。
- 「最適化」そのものを否定せず、「より良く生きる」ために使えば、あなたの力は価値になる。
まずは“もっと良くしようとする自分”を責めないでください。
そのエネルギーを、「今を一歩進めること」「他人を助けること」「自分が納得すること」のために、うまく配分できれば、あなたの才能は輝きます。