“弱者は救いたい形をしていない”——この言葉が一人歩きしていて、出どころを調べるがいまいちわからない。西村博之氏が言ったという人もいれば、たぬかな氏が言った、文豪トルストイの名言だという人もいる。出どころはどうあれ、いろんな解釈があるみたいだ。
この言葉について結論から言うと、
「そりゃそうだ、真の弱者は加害者と死者だから」
以外の言葉が出てこない。
前提として、弱者が何を以てして弱者かを「ヒューマンリソースが枯渇して、回復するためのキャピタルを持たない者」と定義しておきたい。
リソース:体、心、時、金
キャピタル:知、技
自尊感情と教養が育まれなかった、または剥奪されきった人は、人間関係も健康も財も失うか、そもそも積み上げられない。薬物依存、アルコール依存、ニコチン依存、ギャンブル依存、買い物依存、性依存、整形依存、自傷依存、SNS依存——とにかく自己を苦しめることばかりにリソースを使い続ける。リソースがなければキャピタルも得られない。意欲も湧かないからずっと回復できない。
そして何も失うものがなくなった人は、最後は人を殺すか自分を殺す。“窮鼠猫を噛む”の認知歪みが極まったバージョン。被害マインドが、架空の敵を現実に生み出し、過剰防衛を起こす。刃が自分か他者どちらに向くかは一抹の慈悲と認知機能の違いだけど、いずれにせよ「人間」を消す方向に心が向ききっている特徴があるのは共通。
病人や障害者や貧乏人、なんらかの事件や事故の被害者でも、「負けてない人」は強いし、幸せに生きてる人すらいる。自分の問題を自分の問題として認識して、現実的な改善策や解決策を探って試してって自助努力を惜しまないし、人に直接助けてもらうのは最終手段だと思ってるし、感謝や恩をずっと忘れない。日々の中に彩りを見つけて感動できる人もいる。(これが苦労の美化と正当化によるものなら後に弱者になるわけだけれど)
アメリカの統計局データでは、富裕層より貧困層のほうが8倍も寄付する人が多いらしい。開発途上国が栄えないのは、みんなで何もかも分け与えてしまって強い産業が育たないからとも聞く。それでも心から笑ってる人が多いように見える。彼らは強い。だからこそ、手遅れになってから援助希求しちゃって、命が失われる確率も上がってしまうから皮肉とも言える。
一方で社会に顕現しやすい弱者、つまりノイジーマイノリティは、他力本願、責任転嫁が基本。自分の「負」の“すべて”が人・環境・過去・運命のせいだと頑なに信じて、「変えられる部分」の自助努力さえ放棄して、愚痴や怒りの声だけデカい。
100%の善意で助けようとする人たちに対しても、敵意帰属バイアスで「何か裏があるに違いない」とか「見下してる」と解釈して、手を振り払ったり噛みついたりする。
「弱者救済」とはそういう人たちが幸せに向かうように脱洗脳&再教育することなのに、“しょんぼり元気がなくておとなしくて逆らわない困ってる人”だけを弱者として、支配欲や優越感を満たす自己陶酔のための救済ごっこをしてるケースがほとんど。かつての自分もそうだった。メサイアシンドロームや代理ミュンヒハウゼンシンドロームのように。
「自尊心がないからイイコトをした気になってイイ気分になりたい」と自覚して「自己救済のための“人のため”」と言うのは構わないけど、真の弱者救済をするなら、現実的に体・心・時・金の4リソースに「成功者」と言えるくらいの相当な余裕がないとただの「力なき正義という悪」だから、無責任な偽善でしかない。
己を「いい人」だと思ってる人ほど気をつけたほうがいい。真の弱者とは加害者であり、怯えて刀を振り回してる人たちのこと。火のないところに煙を立たせて炎上させる人たちのこと。権利と称して「嫌い」を叫び口撃の免罪符にする人たちのこと。自らをラベリングして地雷に飛び込み「傷ついた」と喚いて同情を誘い賛同者を増やす人のこと。「持たざる者」を掲げて好き放題に奪う人たちのこと。
彼らを救済する気がない or その強さと覚悟と責任を現実的に持ってないなら、軽々しく善を語ってはいけないし、「人のため」を目指さないほうがいい。痛い目を見る。
自分が愛したい人と
自分を愛してくれる人に
自分がムリをすることなく
おすそわけできるものを
与えたい時に与えよう
少し足りなくなったら
早めに誰かにもらおう
こういう正直な姿勢で生きたほうが100%サステナブルでフレキシブル。
「あなたは善人か悪人か?」
「わからない」
「善人はそう答える」
映画『イコライザー THE FINAL』
上記は劇中で交わされる会話の要約。
善悪はそのまま強弱に繋がる。弱さを認めた強者だけが善人たりえるし、強がってる弱い人間だけが罪を犯し悪人になる。見誤ってはいけない。
正しく見よ
ブッダの八正道より
これは正義と悪という意味ではなく、「ありのままを見る」という意味。英語で6W2Hという文法の体系があるけど、これを全部埋める=ありのままを見る練習だと思うといい。
Who 誰が
When いつ
Where どこで
What 何を
Whom 誰に
Why なぜ
How どのように
How much (long, many, etc…) どれくらい
これら6W2Hに当てはめて、それが思い込みではなく実態と矛盾がないなら、「ありのまま見る」ができてると言える。人の動機や意図、タイムスパンは目に見えず一番わかりにくい部分だから、WhyとHowが重要。
自動車メーカーのTOYOTAの人材教育では、5W1Hを実施していて、5WはすべてWhy。
Why
Why
Why
Why
Why
How
これがTOYOTAの5W1H。それくらいWhyが大切ということの裏返し。
弱者と強者、善悪、正誤、因果、くれぐれも見誤らぬよう注意されたし。